Short Storyショートーストーリー

石田夏穂
気分で飲み分ける派2023年6月20日

石田夏穂 気分で飲み分ける派<span>2023年6月20日
illustration by Kamin

「人生で最初に飲んだ時のこと覚えてる?」「いつだったかな……大学生の時だったと思います」
佐藤は取引先と無事に打ち合わせを終えた。丁度このあと飲みに誘おうと思っていた。
「最初は少し苦手でした。でも周りの人が飲むから自分も飲むうちに好きになって」「わかるわかる。最初は『何だコレ?』ってなるよね。ちょっと風味が独特だから嫌いな人もいるし」
一緒に会社のエントランスを出、そのまま繁華街に入る。
「頑張った後に飲むとたまらないよね」「ええ、あの最初の一口ほどうまいものはありません」「この一杯のために辛いことも乗り切れる」
誘うならいまだ。佐藤の行きつけの居酒屋が迫った。
「でも最近は種類が多いから迷っちゃうよね」「ですよね。いろいろある割に売り文句は同じだから」「カロリーオフとか糖質カットとか」「そうそう」「この前さ、良質なものの見分け方を知ったよ」「何です?」「泡だよ」「へえ」「良質なやつは、しっかりと泡立つ。それから泡のキメが細かい」
そのまま行きつけの前を通り過ぎた。この人けっこう詳しい。ならば、あの店にしよう。このあいだ同僚が見つけたバーで、そこにもう一度飲みたいビールがあるのだ。複雑な旨味が初体験で、飲むごとにグラスを専用の台座に戻すのも粋だった。店の雰囲気も落ち着いていたからきっとこの人も気に入るだろう。
「でも最近ちょっと飲み過ぎなんだよね」「え、そうなんですか?」
思わず目を向ける。先方は健康そのものといった体躯でとてもそうには見えなかったからだ。
「飲み過ぎると肝臓に負担がかかるからさ」「まあ自分もつい飲み過ぎちゃうことはありますけど」
言いながら、あのビールを思い出す。一口ごとに、立ち止まりたい気持ちになる深さだった。
「本当においしいものだったら、そんなにガブガブとは飲まないですよ」
ひとつ考えるような間を置いてから、先方は言った。
「君、いいこと言うね」「恐れ入ります」「ところで、君はホエイとカゼインどっち派?」
えっ。佐藤は立ち止まった。何だ。ビールかと思ったらプロテインの話か。

Profile

石田夏穂(いしだかほ)
1991年生。著書に『我が友、スミス』『ケチる貴方』『黄金比の縁』

Kamin
イラストレーター/デザイナー。
東京藝術大学デザイン科在学中。国内外を問わず、企業やアパレルとのコラボレーションやCD ジャケットなど、 幅広く手がける。

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