芦沢央
「本物とニセモノ」2013年9月1日
illustration by Takashi Koshii
ペンギンは嘘つきだからね、と彼が言ったのは、私が左手の薬指を撫でたその時だった。
「氷の上をよちよち歩いてるのを見てかわいいって騒ぐやつが多いけど、あれ、ただ仲間をはめるタイミング狙ってるだけだから」
彼は、どこか誇らしげに頬を歪めて続ける。
「海中には天敵がいる可能性があるだろ。だから仲間を蹴り落として確かめるんだよね」
ひとり言のように言いながら細長い綺麗な指で箸を押しのけ、小さくカットされたブロックベーコンを素手でつまんだ。
「落ちた仲間が無事なら自分も飛び込むけど、血が上がってきたら断念する。完全にほとぼりが冷めるまで待って、また別の仲間を突き落とすんだ」
「すごい、そうなんだ、知らなかった!」
私ははしゃいだ声を上げてみせ、店員に向けて手を上げる。
「この、ガージェリーってやつ、ください」
かしこまりました、店員が私を見て、にやりと笑った。何だか私たちの関係を見透かされたような気がして、私は咄嗟に顔を伏せる。
「かわいい顔してキツイなんて、まるで君みたいだな」
得意げに言った彼に言葉を失った途端、目の前に不思議な模様の刻まれたグラスが差し出された。あ、ビールなんだ。頭の片隅で考えながら勢いよくあおる。柔らかな泡から飛び出した冷えた液体が喉を通った瞬間、グラスを持った左手が視界に入った。薬指で鈍く光る、彼からもらった安い指輪――私は、ふいに気づいてしまう。せっかく綺麗な指をしていても、彼が上手く箸を使えないこと。どれだけ知識を手に入れようと、拙い感想しか抱けないこと。
――俺、奥さんとは別れるつもりなんだ。
彼が繰り返してきた言葉が、本物ではないことを。
「やっぱり無理」
私は息を吐き出しながらつぶやいて、あ、と思う。だけど慌ててもう一口飲むと、喉の奥でつかえていた何かがすっと溶けていくのがわかった。